国木田独歩の「武蔵野」には、こんな一節があります。
今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
ここに出てくる桜橋がこの橋で、国木田独歩文学碑があります。
玉川上水に沿って、こんな遊歩道が続いています。
また、三鷹駅北口交番横には、独歩詩碑があり、「山林に自由存す」と書かれています。
「武蔵野」にはこんな一節もあります。
昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。
独歩が書いたのは、こんな風景だったのでしょう。
独歩は自然主義文学の先駆けと評価されましたが、結核を患い、36歳の若さで亡くなりました。
山本有三記念館
夕焼け小焼けの赤とんぼ
近代日本を代表する詩人三木 露風は、75歳に交通事故で亡くなるまで、ずっと三鷹に住んでいました。
夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。
山の畑の、
桑の實を、
小籠に摘んだは、
まぼろしか。
十五で姐やは、
嫁に行き、
お里のたよりも、
絶えはてた。
夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
とまっているよ、
竿の先。
ただし、露風がこの詩を書いたのは、北海道函館附近のトラピスト修道院においてだったようです。