今年は、太宰治の生誕100年にあたります。今年の6月19日(桜桃忌)には、三鷹市にある太宰治のお墓の前にたくさんの人が供養のため集まりました。没後60年を経た今でも、なぜ太宰文学がこんなにも(特に若い人に)読まれているのか、この書評を読むと少し分かるような気がします。
太宰治ゆかりの場所は、このページに詳しく紹介されているので、私は2か所だけ紹介します。
1948年6月13日の深夜、太宰治と山崎富栄は玉川上水のこの場所で入水心中しました。
歩道には、太宰治の生まれ故郷である青森県北津軽郡金木町の「玉鹿石」が置かれています。
むらさき橋から玉川上水の流れをのぞくとこんな感じで、とても大人2人が死ねるような場所とは思えませんが、当時はもっと水量があったのかもしれません。
太宰治は、JR中央線を線路をまたぐこの陸橋で、マント姿の写真を撮っています。
私は、うつ病がひどくて会社を休んでいたとき、一日に一度だけ気力を振り絞って起き上がり、散歩をしていました。その散歩の途中にこの陸橋の横を通っていましたが、この橋にそんな謂れがあるとは知りませんでした。
答えです。
クイズです!
東京都国分寺市にあるこの学校の名前は?
ヒントは、下の写真です。