政治の目的は、
国民の暮らしをよくすることではない。
もし今までそう思っていたとしたら、
それはまんまと政治家の術中にはまっていたのである。
他の勢力グループに勝って、
権力構造を維持することだけが政治の目的である。
国という存在の起原について、バックミンスター・フラーが「クリティカル・パス」のなかでこのように書いています。
——————————————————–
自分の民と群れの世話をしている羊飼いの王がいる。そこに、ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男がやってきた。彼は羊飼いの王のところに乗りつけ、頭上から見おろして言う。「さて、羊飼いさんよ、あんたがあそこで飼っているのはとてもみごとなヒツジだからな。知っているかい、ここら荒野であんな立派なヒツジを飼うっていうのはかなり危険なんだぜ。この荒野は相当危ないんだ」。羊飼いは答える。「俺たちは何世代もこの荒野でやってきたが、困ったことなど一つも起きなかった」。
それ以来、夜ごと夜ごとヒツジがいなくなり始める。連日のように、ウマに乗った男がやってきては言う。「まことにお気の毒なことじゃないか。ここはかなり危険だって言ったろう、なあ、荒野じゃヒツジがいなくなっちまうんだ」。とうとう羊飼いはあまりに災難がつづくので、男に「保護」を受ける対価としてヒツジで支払い、その男が自分のものだと主張する土地で独占的に放牧させてもらうことに承諾する。
羊飼いが侵入している土地は自分の所有地だという男の主張にあえて疑問をさしはさむ者はいなかった。男は、自分がその場所の権力構造であることを示すために棍棒を持っていた。彼は羊飼いの背丈をはるかに越えて高く立ち、あっという間にウマで近づいて羊飼いの頭を棍棒でなぐることができた。このようにして、何千年も昔に、20世紀でいうゆすり屋の「保護」と縄張りの「所有権」とが始まったのである。小男たちはこのときはじめて、いかにして権力構造をつくり、その結果、いかにして他人の生産力に寄生して生活するかを学んだのだった。
その次に、ほかのウマに乗った連中との間で、誰が本当に「この土地を所有している」と主張できるかを決する大規模な戦いが始まった。……
——————————————————–
ムカッ!ときたポスター
郵便局の店頭でこのポスターを見て、けっこうムカッ!ときました。
「手紙に託すみんなの思い、ルールを守って届けよう。」
これは「みんなの思い」ではなく、信書の配達を独占したいという「郵便局の思い」ではないのでしょうか?
現在の法律では、信書に該当する文書は、郵便事業株式会社と信書便事業者だけが配達できると定められています。ただし、法律が「あまねく公平な提供」を求めていることなどが障壁になって、民間事業者が許可を得て信書便事業者に参入するのはかなり難しいようです(現在、一般信書便事業者はゼロ、特定信書便事業者は346)。その一方で、郵便局では過失や故意による郵便事故が多発しているので、個人的には、信書に該当するような重要な文書の配達は郵便局に任せるよりも、ヤマト運輸などの民間事業者に任せるほうがずっと安心だと感じています。現行の郵便法や信書便法は、郵便局の既得権益を守るために、そういう国民のニーズを踏みにじっている悪法だと思います。
私に言わせれば、現在の郵便局のように事故が多発している事業者こそ、その改善策が効果をあげるまで信書の配達を禁止すべきです。
原子力発電所の今後について
まだ事態が進行中なので、あくまでも現時点におけるものですが、私の個人的な認識と意見を書きます。
◎原子力発電所に対する基本的認識
- 原子力発電所の安全性はたくさんの仮定のうえに成り立っており、その仮定のいくつかが崩れたら安全ではなくなる。
- 原子力発電所の安全性は動的に維持し続けなければならない性格のものなので、電力等の供給が止まれば維持できなくなる。
- ひとたび原子力発電所で事故が発生したら、制御不能に陥り、放射線被害が広範に及ぶリスクが高い。
- 原子炉自体は放射能の汚染されているので、これを安全に廃炉にするのは技術的に難しい。
◎今後の方針
- 福島第一原子力発電所にかぎらず日本中の原子力発電所の操業を速やかに停止し、原子炉を安全に廃炉にする方法の確立を急ぐ。
- 操業停止までの間に別の原子力発電所でも事故が発生するリスクがあるので、今回の事故の経験を踏まえたコンティンジェンシープランを早急に策定し徹底する。
- エネルギー消費が少ない産業構造やライフスタイルを浸透させることにより、原子力発電所がなくても、さらには化石燃料の消費量を相当抑えても成り立つような社会を目指す。
- 量的な経済成長至上主義を改めて、GDPに代わる質的な経済指標を経済運営のターゲットに採用する。
- 上記3.の成果がある程度あがったならば、それを世界に向けて提案する。