WikiLeaksのことがマスコミなどで大きく取り上げられたいますが、WikiLeaksの活動の是非についての意見はひとまず置いておいて、少し違う観点から、私の意見を書いてみたいと思います。
情報をリークされて困るということは、基本的にその組織のどこかに本質的な「悪」が存在するからだと思っています。
目的・目標・手段・経過・結果のすべてをオープンにして、バザール方式で、みんなで寄ってたかって進めるのが、これからの物事の進め方だと、今回の件でさらに確信を深めました。どれだけオープンかということが、健全性の重要な尺度だと思います。
出版の動機が見え見え
以前は会社がすぐ近くにあったし、仕事上必要だったので、ほぼ毎日三省堂書店の神保町本店の売り場を歩きまわっていましたが、このところずっとご無沙汰していました。久々に行ってみると、やはり企画性のある売り場づくりの点で、他の書店とは一味違うと感じました。
でも、有名人がぞくぞくと本を出版していて、サイン会の予定がぎっしり貼ってあるのを見ると、出版会社も著者もあわよくば「一攫千金」を目論んでいるのが見え見えで、なんだか嫌気がさしました。
自分にはずっと温めている構想があって、ゆくゆくはまとまった文章を発表しようと思っていますが、間違っても出版なんて考えずに、コピーレフトの考え方を貫いてネットに公開しようと思っています。
ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズからのお願い
私がウィペディアのことを初めて知ったとき、Linuxカーネルの開発ストーリーとともに、人類の未来に明るい光が差した出来事だと感じました。個人のプライバシーに関わることなどを除き、世の中のほとんどのプロジェクトをバザール方式で進めれば、合目的性と健全性が確保されるのではないかと思っています。伽藍方式とバザール方式の違いについては、エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」をご覧ください。
ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズからのお願い
P.S.
私が昔、ウィキペディアの編集方法を紹介する特集を組もうと提案したとき、ほとんどの人が「そんな方法できちんとした百科事典ができるはずがない」と反対しました。あれから10年近く経って、当時反対した人の考え方が変わったとは思いませんが、たぶんそんなことは忘れてしまって、毎日ウィキペディアを使っているのではないかと思います。