教科書をデジタル化しようという動きがあり、賛成・反対の意見が多数出ています。
私自身は、教科書のデジタル化に賛成です。
従来は情報自体が希少な存在だったので、せっかく得られた情報を忘れてしまわないように暗記することが必要でした。高校までの学習も暗記に主眼が置かれていて、入試問題も暗記力を試すものが多かったです。ところが、情報のデジタル化とインターネットの普及によって、必要な情報をすぐに画面に呼び出せるようになったので、暗記する必要性がどんどん薄れてきました。にもかかわらず、教育の現場は、従来どおりの暗記中心の学習を生徒に強いています。
したがって、教育の目標を以下の能力の習得に改めるべきです。
1)基礎的なスキルとしての情報リテラシー
2)文脈を正しく読み解く能力
3)読み手に主旨が正しく伝わる文章を書く能力
4)上記2)3)は少なくとも英語でも可能に
5)複眼的かつ総合的に理解し判断する能力
6)自分や他者の知見を発展させて、さらに高次なものを生み出す能力
そして上記の能力を正しく使うために、
7)他者に対する思いやりの心
デジタル化反対の意見には「紙でなければ……」というこだわりが多いようですが、紙はとてもスペシャルな媒体として、今後もっともっと存在価値が高まっていくのではないかと思います。手書きの文字も同様です。
最後に、「キーボードは打てても紙に字が書けなくなる」という懸念がありますが、これはある程度しかたがないことだと思います。ただ、字をきれいに書くための授業は、一般教養として残すべきだろうと思います。
<27日付新聞広告>
「平器」構想
「やられたらやり返す」という考え方にたった「兵器」を保有することが抑止力になると、多くの人が考えています。でも「兵器」はほんとうに抑止力になっているのでしょうか?「兵器」を持つがゆえに力と力がぶつかり合い、戦争が起きるリスクが高まっているのではないでしょうか。
私は、「平和」のための「器」である「平器」を持つことを提唱します。「平器」はふりかかってくる火の粉を振り払うことに特化した装置で、他者を攻める機能をまったく持たないことを中立な国際機関が審査して認定します。「平器」を購入する国に対しては、補助をしてもいいと思います。その資金はいまだに「兵器」を持つ国が拠出するべきです。
優れた工業技術をベースに「平器」を量産して世界中に輸出するとともに、文明や民族の衝突の間にたってクッションの役割を果たすことが、日本の役割ではないかと考えます。
平成22年6月23日 沖縄慰霊の日に
オリンピック憲章について
サンデーモーニングで、たまにはいいことを言っていました。
オリンピック憲章 第1章6-1より
オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。
国籍に関係なく、地球市民として参加できる枠を作ればいいと思っています。