ネット以前と以後を知っていること

Macに向かって作業しながら、家族が見ているテレビの音だけ聞いていました。「ボクらの時代」という番組のなかで、小泉今日子・永瀬正敏・古田新太が対談していましたが、キョンキョンがなかなか興味深いことを言っていました。彼らの年代(44〜45歳)は、家のテレビが白黒からカラーに代わった日のことを鮮明に覚えているのです。もちろん、51歳の私もそうです。
同様に、初めてPC-9800に触った日のことや、MS-DOSからWindows3.0に切り替えた日のことや、初めてインターネットに接続できた日のことを私はよく覚えていますが、それは私の人生のなかでは比較的最近の出来事で、それ以前の日々のほうが長いわけです。
何が言いたいのかと言えば、あるエポックメイキングな出来事の「それ以前」と「それ以後」を知っているというのは非常に重要だということです。私は終戦という出来事の「それ以前」と「それ以後」を体験していないので、それは想像するしかありません。もし私が実際に体験していたら、私の考え方は現在と違っていたかもしれません。

情報セキュリティスペシャリスト試験を受けてきました

昨日、情報セキュリティスペシャリスト試験(SC)を受けてきました。
机の数に対して、実際に受験に来た人は6割くらいでした。4割の人は申し込んだのに受けずに諦めてしまうのですね。受験者の9割が男性、1割が女性という感じでした。やはり若い人が多いですが、私くらいの年配の人もけっこういました。
今回はまったくもって勉強不足だったので、とりあえず試験の傾向を把握して、それをステップに来年春の試験の合格を目指す方針で受験しました。
○午前Ⅰ(4択30問 50分)
他の科目の試験と共通の問題で、基本的な知識を問う問題ですが、幅広い範囲から出題されます。プログラミングの経験のない私は、そういう分野の問題がすごく苦手です。午前の問題が基準点に達しないと、それ以降の問題は回答しても採点してもられないので、来年春までにここら辺を克服しなくてはなりません。
○午前Ⅱ(4択25問 40分)
主にデータベース、ネットワーク、セキュリティなどに関わる基本的な知識を問われます。ひっかけ問題は少ないので、その用語さえ知っていれば正解できます。午前Ⅰも午前Ⅱも時間は十分にありました。
午後Ⅰ(記述式4問中2問回答 90分)
1)電子メールからの情報漏洩とその対策についての問題
2)Javaアプレットに関する問題
3)ICカードの認証に関する問題
4)ノートPCの情報漏洩対策についての問題
私は1)と4)を選びましたが、けっこう書けたほうだと思います。
午後Ⅱ(記述式2問から1問回答 120分)
1)認証・認可基盤構築の実施計画についての問題
2)社内LANの見直しについての問題
私は2)を選びました。読むだけでも時間のかかる長文の問題で、単なる知識ではなく、どういう根拠でどう判断するかという対応力が試されます。この時点で玉砕しました[いやー/]
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写真:会場に早く着きすぎたので、まだほとんど人がいません。

なんという悪夢!

リアルな夢を見ました。
CURURUのブログを書いたときに、ブラウザーのアドレス欄に変な英文字が表れて、あれ?という違和感を覚えました。その後、自分のCURURUのサイトがあれよあれよと言う間に書き換えられていき、自分では制御できなくなって、ついに完全に乗っ取られてしまいました。
なんだか私のメールアドレスから大量に変なメールが発信されているようです。CURURUの事務局に通報したところ、ブラウザーの脆弱性をつかれて侵入されたケースで、アカウントをリセットするしかなく、全てのコンテンツは失われるとのこと。えー!全部なくなってしまうのですか!
というところで目が覚めました。
あまりにリアルな夢だったので、もしや!と、すぐにパソコンを立ち上げて、CURURUのページを見たら、いつもと変わらなかったので、胸をなでおろしました。
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Bill Gates & Microsoft

July 2008 Bill Gates will transition out of a day-to-day role in Microsoft Corp. to spend more time on his global health and education work at the The Bill & Melinda Gates Foundation.
かねてからアナウンスされていたことですが、その日が近づいてきました。
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ビル・ゲイツとマイクロソフト成功の背景には、大きな要因が4つくらいあったと思います。
1.IBM PCおよびその互換機OSPC DOS(MS-DOS)を開発したこと。
2.ゼロックスのパロアルト研究所Altoを見学し、MS-DOSが将来通用しなくなることを見抜いて、Windowsを開発し、これによりGUI環境のOS市場で独占的地位を確立したこと。
3.インターネットの普及に呼応して、Webブラウザー市場でInternet ExplorerによってNetscape Navigatorを駆逐したこと。
4.オフィススイート製品Microsoft Officeで圧倒的シェアを確立したこと。
特に1.については、ビル・ゲイツにとって、かなりラッキーな要素が重なりました。1980年7月頃、パーソナルコンピュータの開発に多くの経営資源を投入できなかったIBMは、マイクロソフトにintel8086対応版のCP/Mを開発してもらおうとしましたが、IBMは、CP/Mのソースの権利を持っていなかった為、ビル・ゲイツのアドバイスによってデジタルリサーチ社と交渉することにしました。
ところが、IBMとデジタルリサーチ社のゲイリー・キルドールとの交渉はまとまらず、結果として、ゲイリー・キルドールは世紀のビッグチャンスを逃してしまいます(もしこの交渉がまとまっていたら、マイクロソフトの成功はなかったでしょう)。
交渉がまとまらなかった理由については、諸説があります。
1.IBM の代理人がデジタルリサーチ社のゲイリー・キルドールを訪ねた時に、彼が会おうとしなかった。
2.デジタルリサーチ社を訪問した IBM の重役達を何時間も待たせたまま、キルドールは自家用飛行機を飛ばしに行っていた。
3.キルドールは商談には関与せず、弁護士でもある妻の Dorothy McEwen に任せていたが、彼女が IBM との秘密保持契約へのサインを嫌がった。
4.キルドールは PL/1 コンパイラに取り組んでいたので、当時は CP/M の 16bit プロセッサへの移植には興味が無かった。
5.実際に交渉面で折り合いがつかなかった。
結局、IBM はマイクロソフトにOSの提供を依頼し、マイクロソフトもまたそれを受諾しました。ところが、当時マイクロソフトにはOSを開発した経験がなかたったので、独自に移植作業を行っていたシアトルコンピュータプロダクツ社から86DOS(QDOSの最初のバージョン)の非独占的なライセンスを買い取り、さらに1981年5月に開発者のティム・パターソンを引き抜いて、QDOS の IBM PCへの移植を行なわせました。
そして、1981年にIBM PC用のPC DOSが発売されましたが、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、両者の妥協案として、IBM PC以外用のMS-DOSも発売されました。IBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、マイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めたことが、後のマイクロソフトの躍進の原動力となり、見方を変えれば、「みすみすビッグチャンスをマイクロソフトに持っていかれた」IBMの大失策であるとも言われています。
いずれにしても、ビル・ゲイツが経営の第一線から身を引くことによって、史上最大のアメリカンドリームの物語が一応完結したと言えるでしょう。
追記:私が初めて買ったのは、MS-DOS3,3C(NEC版)でした。

Folding@Home


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http://folding.stanford.edu/japanese/index.html


 


余っているCPUパワーを研究に役立てよう!


「私たちの最終目標:タンパク質の折り畳み、異常折り畳み及び関連の疾病の理解」


 


1個のソフトウエアを走らせるだけで協力していただけます。
Folding@Home は世界中の人々が世界でも最大級のスーパーコンピュータを形成するために集合するために、ソフトウエアをダウンロードして実行する、分散コンピューティングプロジェクトです。全てのコンピューターが私たちの最終目標へと近付けてくれています。


 


PCとMacの両方にインストールしました。


これで少しでも役に立てれば幸せです。

隣りに達人がいたから

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今日のお題

あなたがパソコンをやり始めたきっかけはなんですか?






私が現在の職場に転勤になったのは1991年ですが、


そのとき隣りの席にパソコンの達人がいて、


config.sysやautoexec.batの書き方など、


いろいろ教えてくれたのがきっかけです。


 


当時まだ、ノート型PCはフロッピーから立ち上げていた時代で、


98ノートに初めてHDDが搭載された頃でした。


私が初めて買ったPCは、日本初のカラー液晶ノートの


PC98Note NCでした。


CPUはi386で遅く、途中でサイリックスのCPUに置換しました。


インターネットの「イ」の字もない時代で、


ニフティのパソコン通信が全盛の時代でした。

私の創造空間

下の写真のわずか畳1畳分のスペースが私の創造空間です。


 


まず右下にあるのが自作PC。CPUはPentium4 550 3.4G/800/1MB LGA775です。
5インチベイの一番上には、フィルムスキャナーNikon COOLSCAN Ⅱが入っています。
OSはWindows2000です。


 


茶色いタンスの左にあるのが、PowerMac G4 933MHz。
OSはMac OS X 10.4.2 Tigerです。


 


ディスプレーはEIZO T962。
1600×1200ドットでリフレッシュレート100Hzとハイスペックです。


 


ディスプレーの右上にあるフラットベッドスキャナーは、
EPSON GT-9400UF。主走査3200dpiです。


 


パソコンラックの左にある大きな黒いボックスは、
東洋リビングの防湿庫。カメラとネガが保管してあります。


 


その上に乗っているのが、CANON PIXUS iP4100です。
5色インクによる高品位プリントが売りです。



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