「ツレがうつになりまして。」

昨日、新宿の劇場で「ツレがうつになりまして。」を観てきた。
私自身は、2002年の6月にうつ病と診断され、今年の1月まで約8年半にわたって抗うつ剤を飲み続けた。おかげさまで現在は、寛解している(詳細は→こちら)。そんな私なので、2006年に出版された「ツレがうつになりまして。」と2007年に出版された「その後のツレがうつになりまして。」は真っ先に買って読んだ。そして昨日、映画を観終わってから改めて読み直してみたが、闘病中の当時に比べると、本に対する私自身の感想がずいぶん変わったことに気づいた。というか、当時は病気のせいもあってきちんと読んでいなかったのである。この2冊は、親しみやすいタッチで描かれたコミックエッセィなので、あっという間に読み切れるし、医学的な知見にきちんと基づいているし、うつ病というのはどんな病気なのかを理解するためにとても有益である。病苦の真っただ中にある人も、その家族も、あるいは職場の管理者も、ぜひ2冊セットで買って読んでほしいと思う。
さて、今回観た映画の「ツレがうつになりまして。」は、原作の主旨を汲んで、とても丁寧に作られている。描かれている中心テーマは「夫婦愛」である。だから、この映画をいちばん強く勧めたいのは、これから結婚を考えているカップルである。そういう二人なら、この映画から得られることがとても多いと思う。
次に観てほしいのは身近にうつ病患者がいる人であるが、注意が必要なのは、この映画のストーリーのようなうつ病への対応は必ずしも一般的ではないということである。あんなにスパッと会社を辞めてしまえる人はあまりいない(映画のストーリーでは、その後会社が潰れてしまうので、結果的には辞めて正解だったが……)。数ヶ月間の長期休暇を取得してゆっくり休養するのが一般的な治療パターンである。そしてむしろ、職場復帰の難しさこそが、うつ病克服のための最も高いハードルであったりする。だから、具体的な対応の手本としてこの映画を観るのではなく、うつ病という病気の理解のために観るのがいいと思う。
現在闘病中の人は、感じ方がさまざまだと思う。うつ病だと診断されたばかりで、まだあまり知識のない人には有益だと思うが、重症の人や遷延している人は、きっと「こんな生易しいものじゃない」と感じるだろう。ただ、徐々に寛解していくイメージを掴むにはいいかもしれない。
映画の後半で、主人公が「うつ病になって得られたことが多かった」と語る場面がいくつかある。これが、先に述べた「夫婦愛」とともに、この映画の重要なテーマのひとつである。病気はとても苦しいけれど、それに向き合うことで人は成長する。今まで見えなかったことが見えてくるし、自分の周りの人とのつながりがいっそう深くなる。失うものばかりではないことを、この映画は教えてくれる。
ここから先は私見になるが、うつ病は薬だけではなかなか治らないケースが多く、そういう場合には、発症の原因になっている人生の「歪み」のようなものを自分なりに解決して、人生そのものを再構築しなければ寛解しないと思う。だからこそ、周りの人の理解と協力が不可欠なのである。
映画が終わってエンドロールが流れ始めると、たいていの映画では人が立ち始めるが、昨日はエンドロールが終わって館内が明るくなるまで誰も立とうとしなかった。久々にいい映画を観たと思った。
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「これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫」

たぶん親戚でもなんでもないと思うが、子供の頃の自分のあだ名になったこともあって、他人のような気がしないので、これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫を観てきた。それに先立って、原作である武居俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』もパラパラとななめ読みした。
赤塚不二夫の代表作おそ松くんひみつのアッコちゃんの連載が始まった1962年に私はまだ3歳で、天才バカボン連載開始の1967年には小学校2年生だった。だから私の記憶は、少年サンデー少年マガジンりぼん(もなぜか時々読んでいた)を読んだものよりも、後にテレビからインプットされたもののほうが圧倒的に多いのだと思う。ただ、かなり後になって読んだサンデーかマガジンに、「左手で書いてみるのだ!」というような号があって、子供の目で見ても赤塚の行き詰まりが感じられたのを覚えている。
もう一つこの映画をぜひ見たいと思った理由は、原作が武居俊樹という編集者の目で書かれている点である。分野も編集者の役割もまったく違うけれど、私も過去に経営情報誌の編集者を経験したことがあるので、編集者の苦労を多少なりとも分かっているつもりである。だから、劇場中が大爆笑するような場面でも、ひとり苦笑いしていた。ただ、子供向けの漫画が、あのように作られていたことを知って、かなり複雑な気持ちになった。原作には映画よりもさらにドロドロしたことが書かれている。だからそういう部分が薄められたという意味で、編集者役に女性の堀北真希を起用したのは正解だったと思う。
さて、映画の中身は、ハチャメチャなギャグが半分、赤塚の苦悩が半分の比率だった。彼がアルコール依存症になっていった経緯もよく分かった。フジオ・プロダクションがあった西新宿には、現在は超高層ビルが林立しているが、映画では建設中のビルが背景に映しだされていた。そしてラストシーンでは、完成したばかりの京王プラザホテルが夕日に染まっていた。一つの時代が終わって、新しい時代が来たことが表現されていたのだと思う。