今日、50歳の誕生日を迎えました。
織田信長は、『敦盛』の「人間50年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」 という一節を好んで歌ったと言われていますが、たしかに50年という時間が、まるで一夜の夢の中の出来事のようにあっという間に過ぎてしまった気がします。
<総括すると>
子供の頃はとても病弱だった私が、結婚して子供を2人も授かったのですから、まあいい人生だったと言えるのではないかと思います。と、同時に、たくさんの失敗の経験を踏まえて、いよいよこれから先が自分の実力を発揮できる人生の本番だという思いがしています。
<学びについて>
受験戦争で丸暗記した知識は、実社会ではほとんど役に立ちませんでした。ほんとうに役立った知識は、現場で生に体得したことや、著者や訳者に直に会ってその本の核心を聴いて共鳴したことがほとんどです。
○人生の道しるべとなった本
『現代の経営』 ピーター・ドラッカー
『経営者の役割』 チェスター・バーナード
『複雑系』 ミッチェル・ワールドロップ他
『ボランティア』 金子郁容
『近代科学の終焉』 北沢方邦
『クリティカル・パス』 バックミンスター・フラー
○影響を受けた人物
前川正雄
上田惇生
<写真について>
小学5年生の時に、友達に誘われて亀山機関区にSLを撮りに行ったのが私と写真との出会いでしたが、一生を通じて続けられる趣味を持てたのは、ほんとうに幸せだったと思います。私の持論では、シャッターを押す行為は自分自身の表現などではなく、写真が自らの力でこの世に出現してくるきっかけを作るだけだと思っていますが(詳しくはこちら)、それでも、創造的なプロセスに関与できるのは、とても嬉しい限りです。
<ネット社会について>
上に挙げた『ボランティア』のなかで、金子郁容は情報には「静的情報」と「動的情報」の2種類があると言っています。長くなりますが、そのまま引用すると、
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静的情報の考え方に準拠すれば、情報は、どこかから手に入れてくるものであり、それには、対価を支払うなどのコストがかかることになる。したがって、手に入れた情報はなるべく人に見えないように隠し、情報を独占することが重要であるということになる。
<中略>
静的情報は、既存の枠組みの中で、効率的にことを処理するのには寄与する。しかし、既存の枠組みを変化させる力にはならない。
それに対して、情報に関して重要なことは、隠すことではなくて、進んで人に情報を提示し、それに対して、意見を言ってもらい、つまり、人から情報をもらい、相手から提示されたその情報に対して、今度はこちらから自分の考えを提示する……というやりとりの循環プロセスを作り出すことであるというのが、動的情報の考え方だ。情報は蓄えられているだけでは、力を発揮しない。やりとりを交わす過程の中ではじめて、情報に意味がつけられ、価値が発見され、新しい解釈–ものの新たなる理解や、新しいやり方–が生まれてくる。
———————————————–
ネット社会は、まさに動的情報が取り交わされる場所であり、そこから新しい価値がどんどん生み出されてくる場だと思います。私は、インターネットがこんなに普及する前から、これからはここが自分の活動の場になると予感していました。インターネットが持つ潜在的な力は、すでに世の中を大きく変えてきましたが、歴史が変わるような本当に大きな変化が起こるのはこれからだと思います。たぶん、今まで絶対だと信じられていたものが、大きな音を立てて崩れていくことになるでしょう。そして、その先にあるものは、きっと今よりもいい世界だと思っています。
最後に、
Imagine all the people
Living life in peace….
お誕生日〜おめでとうございます〜♪
良い意味で、いろいろ情報をありがとうございます〜♪
1、人生50年と、私もなぜか思うことが多いんです〜♪50歳を過ぎた頃から、好きなことをやって、人生の締めくくりをしたいと考えるようになりました〜♪
2,インターネット社会については、まさに驚くばかりで、こんな社会は想像もできませんでしたが、とても楽しんでいる自分を発見します〜♪宇宙の不思議を感じています〜♪
3,これからもインターネット友人で、人生を謳歌しましょう〜♪(笑)
ありがとうございます。
いつでも夢を持って生きたいと思っています。
お誕生日おめでとう御座いますm(✿・▽・)(✿^ー^)m
50歳、人生の折り返しと云ったところでしょうか?
たしかに、これからが本当の自分を発揮できるのでしょう。
思う存分、人生を謳歌して下さいなぁ(✿◜◡‾)❤
人生って、数学ではないので、みんな違うんですね。
ε(*´・ω・)знарру вiятнDауε(・ω・`*)з
ステキな人生を^^
ありがとうございます。
自分の人生はこれからだと思っています。
ありがとうございます。
前向きに生きたいです。
お誕生日おめでとうございます。
これからも素敵に年を重ねてください。
ありがとうございます。
あんなにまっくらだった鬱が晴れてきて、
久しぶりにいい誕生日を迎えられました。
50才のお誕生日おめでとうございます。
アルファさん、非常にしっかりとして、深い洞察をお持ちでしたから、
てっきり自分より年上と思っていました。
私ゃ、テーゲーでちゃらんぽらんですからねえ。歳とっても、アルファさんのように達観できません。
ま、私も子供2人いるからいいか・・・。
ありがとうございます。
私はまだ一度も沖縄に行ったことがありませんが、
近いうちにぜひ行きたいと思っています。
お誕生日おめでとうございます♪
これからまた一日、一日、一年、一年がアルファさんにとって素敵な日々になりますように♪[にこっ/]
ありがとうございます。
今までは流されるように生きていましたが、
これからは自分自身で道を決めて生きたいと思います。
[てへっ/]おめでとうございます!
>私の持論では、シャッターを押す行為は自分自身の表現などではなく、
>写真が自らの力でこの世に出現してくるきっかけを作るだけだと思っています
まったく同感します。写真の中に自己が表出することはないですから。
そこにはレンズの前の景色があるだけ。
でも、「出現した写真」を「他に提示する行為」は全き自己表現ですね。
「他に提示する行為」は、昔は、
写真展を開くとか、うまくいって雑誌に載るとか、かなり限られていましたが、
インターネットの普及で様変わりになりましたね。
50年きっと紆余曲折あったのでしょうね。
でも一つ一つが糧になり今のアルファさんを作り上げていった、、、
今の自分が過去につながっている。
何が正しいか何が悪いかなんてきっと人生に答えはないと思う。
神様はきっと平等に幸せという量を与えてくれるんじゃないですかね?
お金持ちの人はお金に対しての心の寂しさをきっと感じてると思います。
今の社会の厳しさにあえいでいる人は、きっとつらいと思うけど、きっとどこかで人に助けられている幸せを感じているはずです。
日本は格差社会とはいいますが、きっと個人自ら作り出している部分もあると思う。
世界を見ればまだまだ日本も捨てたものじゃない、、、
別にもう世界のトップを取る必要もないでしょう。
世界の中で日本にしかないOnly Oneをきっとまた見つければ日本っていう国は輝くと思います。
アルファさんはきっと日本を成長させるためにがんばってこられて今もがんばられている方ですよね、、、
どういう人生を過ごされてきたかは私には知る由もありませんが、回顧できる幸せというものもあるのでしょうね、、、
本当におめでとうございます!!
格差という点では、日本はすごく格差の少ない国で、
自由平等を売り物にしているアメリカのほうがずっと格差社会だと思います。
それでも自分より恵まれている人のことをうらやましく思ってしまうのは、
人間の悲しい性なのでしょう。
私もこれからは、人と自分を比べたりせずに、
自分自身の中に幸せを見つけ出していきたいと思います。
50歳、おめでとうございます。
きっとこれからが本番の舞台のような気がします。
何だかとてもワクワクしてきます。
誕生日おめでとうございます。
私も37歳になりますが、まだまだ迷う事も多く
いまだ未熟さを痛感する毎日です。
人生の先輩としてアルファさんの日記は時に
私の心に響き、よき道標となってくれてるような気がします。
これからも健康に留意され、より一層の活躍を望みます。
これから本番だと本当にいいのですが、
そうなるように一歩一歩前に進みたいと思います。
ありがとうございます。
健康がいちばん大切だということがよく分かったので、
これからは十分気をつけていきたいと思います。
おめでとうございます[てへっ/]
もうあと、50年ぼちぼちやりましょう[ウィンク/]
ありがとうございます。
鬱になってから、いつも100%を出さなくてもいいことを学びました。
節目の誕生日おめでとうございます。
今後とも宜しくお願い致します。m(__)m
誕生日おめでとうございます。
私も人生の道しるべになるものに出会いたいものです。
ありがとうございます。
50歳というのは、やっぱりちょっと今までの誕生日とは違うものを感じます。
私の場合、仕事でいろいろな人に会うことができたのが大きかったです。
>シャッターを押す行為は自分自身の表現などではなく、写真が自らの力でこの世に出現してくるきっかけを作るだけだ
自分は、運慶が仁王像を彫っているといううわさを聞いて見学に行った。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのか不思議だと思いつつ、見物人に混じって見ていた。運慶は大勢の見物人が褒めたてるのを一切気にすることなく、ただ黙々と鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。その動かし方が無遠慮で少しも疑念をさしはさんでいないように見えたので、自分は感心して、
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」とつぶやいた。すると、ある若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」と言った。
自分は、なるほど彫刻とはそんなものかと思い、また、はたしてそうなら誰にでもできることだと思って、早速家に帰り、先日の暴風で倒れたたくさんの木を彫り始めた。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次のにも運悪く掘り当てることが出来なかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分はつんである木を片っ端から彫ってみたが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているものはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。 「夢十夜」(夏目漱石)
僕のカメラには写真が入っていないようです。
カメラではなく、フィルムの膜面を探してみてください。
きっと見つかりますよ。
お誕生日おめでとうございます♪
有意義な一年となられますようにお祈りいたします。
ありがとうございます。
いい予感がしています。