年金記録の問題など、いわゆる「お上(=政府ないし政府機関、省庁を指す俗用)」の仕事の杜撰さがたびたび報道されてきましたが、今回の大阪地検特捜部主任検事によるデータ改ざん疑惑は、「お上」の仕事のもっと本質的な問題を浮き彫りにしたのではないかと思います。「お上」の仕事が問題を生みやすい理由とその解決策を考えてみました。
<理由と改善策>
1)閉鎖性
閉ざされた「場」で行われることは、たとえ最初は高い理想に裏打ちされていたとしても、どんどんその質が劣化し、効率が低下し、ついには当初の目的を見失っていきます。
解決策:個人情報に関わるもの以外はすべて積極的に公の場に晒し、それについて自由な意見を求め、その意見に対する意見も出してもらい、こうした動的な情報交換のなかから次の方向性を見つけて「継続的改善」を続けていくべきです。
2)地位と目的の本質的な勘違い
日本は封建制度の下での「支配・被支配」の関係を完全には払拭できていないので、「お上」の頭の中には自分たちは「支配者側の一員」という意識が残っています。憲法第15条第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と明記されていますが、「お上」の集団意識の奥底には自分たちが「奉仕者」だという意識は希薄です。逆に、本音ベースの組織目的は、「全体への奉仕」ではなく、「支配・被支配体制の維持継続」にあります。
解決策:行政の主要な方針決定を市民が主役となって行うように改めるとともに、PFIの手法を広範に活用して、ほとんどの行政サービスを民間が行うようにすべきです。
3)無謬でなければならないという神話
永らく「お上」は無謬である(けっして間違いをしない)という神話が存在していました。だから、明らかに間違いであることが分かっても「お上」は絶対にそれを認めず、謝ることもしませんでした。そればかりか、誤りを見つけると、それが外部に出ないように必死で隠蔽してきました。もっとエスカレートすると、「お上」が作り出した(捏造した)事象までも事実であると錯覚するようになります。それが今回の事件です。
解決策:人間の仕事には必ず一定の確率で間違いが含まれるものだという認識にたって、仕事の結果を全面的にオープンにし、できるだけたくさんの第三者の精査や監査を受けて、間違いがあったらすぐに訂正するというやり方に改めるべきです。性質上やむをえず秘密にする事柄については、事後でもいいので、早い機会にオープンにして、もれなく第三者の監査を受けるべきです。
<まとめ>
行政は、伽藍方式ではなく、バザール方式で行うべきです。
参考:「伽藍とバザール」
Eric S. Raymond 著
山形浩生 訳