教科書をデジタル化しようという動きがあり、賛成・反対の意見が多数出ています。
私自身は、教科書のデジタル化に賛成です。
従来は情報自体が希少な存在だったので、せっかく得られた情報を忘れてしまわないように暗記することが必要でした。高校までの学習も暗記に主眼が置かれていて、入試問題も暗記力を試すものが多かったです。ところが、情報のデジタル化とインターネットの普及によって、必要な情報をすぐに画面に呼び出せるようになったので、暗記する必要性がどんどん薄れてきました。にもかかわらず、教育の現場は、従来どおりの暗記中心の学習を生徒に強いています。
したがって、教育の目標を以下の能力の習得に改めるべきです。
1)基礎的なスキルとしての情報リテラシー
2)文脈を正しく読み解く能力
3)読み手に主旨が正しく伝わる文章を書く能力
4)上記2)3)は少なくとも英語でも可能に
5)複眼的かつ総合的に理解し判断する能力
6)自分や他者の知見を発展させて、さらに高次なものを生み出す能力
そして上記の能力を正しく使うために、
7)他者に対する思いやりの心
デジタル化反対の意見には「紙でなければ……」というこだわりが多いようですが、紙はとてもスペシャルな媒体として、今後もっともっと存在価値が高まっていくのではないかと思います。手書きの文字も同様です。
最後に、「キーボードは打てても紙に字が書けなくなる」という懸念がありますが、これはある程度しかたがないことだと思います。ただ、字をきれいに書くための授業は、一般教養として残すべきだろうと思います。
<27日付新聞広告>
“デジタル化と紙” への6件の返信
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うちの事務所でも、書類のやりとりは全てメール添付になってきているのですが、プリント用紙の消費がめちゃ増えている。ペーパーレスすればするほど、プリンターのカウントが増えるのはなぜ??
「プリントして見る」という習慣を改めない限り、紙の消費はむしろ増えますね。
あと、個人情報保護の観点からも、不用意に紙に出力しないという方針を徹底させたほうがいいです。
ボクはどっちともいえないなぁ~。
教科書にいっぱい線引いたり、書き込みするやつだったので。。。
アンダーラインやマーカーで塗ったりするのはデジタルでもできると思うんですが。。。書き込みはどうなんだろうか?
デジタルデータを取り扱うときに「身体性」という概念が問題になります。いわゆる「体で覚える」というやつです。でも、ハード・ソフトの工夫次第で、「身体性」を持たせることは可能です。
PCや携帯を使うようになって漢字が書けなくなった事を思うと、すべてがデジタル化だと文章はかけても文字を書くという能力が衰えていく気がします。
いまや携帯で漢字を調べるのは便利ですが、知識があって損はないと思います。
ノートや覚え書きや日記などはデジタル化でもいいと思いますが、勉強など覚えるには書いて覚える方がいい気がします。(古いかな^^;)
自分の経験から言えば、人のノートを見るより自分の字で書いてあるノートのが見やすかったり、苦手なところを自分なりに工夫した書き込みをしたり、ノートのあの辺に書いてあったなーと見返したり、お料理本も本のが見やすいと感じます。
どっちの利点も生かして目的に応じて使い分けるのがベストかな~w
受験生時代はノートに書いて覚えたものですが、今では秀丸エディターに打ち込んだほうが覚えられるようです。
でも、そもそも、勉強=覚えるという発想を捨てるべきです。これからは、考える、評価する、関連付けるということに主眼が置かれるようになるでしょう。そういう思考をするのにデジタル情報はとても有利です。