アメリカの銃規制についてのエリトリで、「平和に対する考え方」ということを書きました。私はこう考えます。
「やられたら同じようにやり返す」のでは、子供の喧嘩と同じです。こういう場合の大人の対処方法は、
- まず、降りかかってくる火の粉から身を守る。
- 調整によって争いの原因を取り除く。
- 必要ならば、他の利害関係者や第三者に調整の場に加わってもらう。
以前にも書きましたが、人が人を殺すための「兵器」や「武器」に対する新しい概念である「平器」を開発することが必要です。
赤塚洋の“Living life in peace” vol.1
2004年8月から2017年9月までのブログ(CURURU→ppBlog→Wordpress)
アメリカの銃規制についてのエリトリで、「平和に対する考え方」ということを書きました。私はこう考えます。
「やられたら同じようにやり返す」のでは、子供の喧嘩と同じです。こういう場合の大人の対処方法は、
以前にも書きましたが、人が人を殺すための「兵器」や「武器」に対する新しい概念である「平器」を開発することが必要です。
コメントは受け付けていません。
平器以前もみましたが、
同感です。
人類は次のステップへ上がるためにもっと模索しないといけないと思います。
戦うのは人間の本能だという人もいますが、それは違うと思います。むしろ意に反して「戦わされてきた」のが人類の歴史です。
それは理想ですが、現実はお上が決めることなので
それに悲しいかな従うのが民衆なのです。
いろんな意見があったほうが健全だと思うので、
一石投げます。
争いは無い事にこしたことはありません。
しかし、ビジネスでも争いですよね。
技術もそうですよね。
結局、人間は「戦争という争いだけは駄目」
っていうのは、無理な話なのではないでしょうか。
今の私たちの安住な生活は争いという
競争のお陰でここまで来たんだと思います。
てなことでいかがでしょう?
ビジネスは争い ×
技術は争い ×
です。
ドラッカーは事業の本質は「顧客の創造」だと言っています。利益をあげることでも、競争に勝つことでもではありません。
こういうことはお上に決めさせてはいけないと思います。
追記:
たとえば高い市場シェアを持つ商品があるとします。多くの人は、他の商品との競争に勝ったからだと考えがちですが、ほんとうの理由は「顧客に選ばれた」からなのです。
過去には好戦的なリーダーを選んだ事もありますよね[いやー/]
過去の争いの歴史に終止符を打つ必要があります。