「ノルウェイの森」

ビートルズの「ノルウェイの森」はメロディラインが柔らかく、聴いていてとても心地よいので、彼らのナンバーの中でも好きな曲の一つである。歌詞の意味がよく分からなかったが、ずいぶん後になって、ジョンが不倫をしようとした状況を書いたものだと知った。
一方、村上春樹の「ノルウェイの森」が上梓された1987年に私はまさに「バブルまみれ」の状態だったので、とても小説を読むような心のゆとりなどなかった。バブル崩壊後は雑誌の編集の仕事に携わったが、そのことがさらに、私を小説のジャンルから遠ざけることになった。なぜなら、私が取り上げるべき内容は企業経営に関わるものが中心だったし、とにかく時間が限られているので、数時間の速読でその本の核心部分を大括りに把握するような読み方ばかりしていたからである。そんなわけで、正直に言うと、村上春樹の作品は今まで一冊も読んだことがなかった。
私が「ノルウェイの森」に関心を持ったきっかけは、私のマイミクが映画にエキストラとして出ていたからである。お正月2日に劇場で映画を観て、その後すぐに小説を読んだ。映画は律儀なほど原作に忠実に作られていたが、いかんせん上下2巻の物語を133分の映像に押し込めているので、とても重要だと思われるいくつかの場面が端折ってあった。小説を読まずに映画だけ観た人は、ぜひ小説も読んでみることをお勧めしたい。村上春樹の文体は、私が予想していたよりもずっと平易で読みやすかった。
この作品の主題ではないが、私にとって重要だと思ったポイントが一つある。「なぜ登場人物はこんなにいとも簡単に自殺してしまうんだろう?」「その理由がよく分からない」と思った人も多いだろうが、そこに合理的な理由は存在しない。しいて言えば、病気の症状がそうさせたのである。
ここまで長々と前置きを書いてきたが、ネタバレにならないように注意しながら核心部分に近づいていこう。物語は電話でのやりとりの場面で終わっており、主人公の最後のつぶやきの意味に対する解釈が人によって異なる。私は、小説にはあって映画にはないハンブルク空港での場面が、答えに近いものへと導いてくれるのではないかと思う(そもそも答えなんて必要ないのだが……)。けっきょく、死は生のなかに包含されており、生死の紙一重の境界を人は常に行き来している。最後の場面は、そのことがまだ漠然としていたゆえの主人公のつぶやきなのだろう。
主人公のような立場に置かれることはレアケースだと多くの人が感じたかもしれないんが、実はそうではない。また、病気に対する理解の度合いによっても、かなり印象が変わる作品だと思う。この作品に限らず一人称で語られる小説を読む醍醐味は、描かれている主人公の心のなかの領域を読者が自由に押し広げながら読むことである。