私の写真論

私は今から30年くらい前の学生時代に、「写真の本質はこれだ!」という考え方に到達しました。というかこれは、すでに中平卓馬などが主張していたことで、当時の◯大写真部の部室に立ち込めていた雰囲気だったのかもしれません。しかし、30年も前の当時としてはかなり過激な考え方だったのでしょう。写真展の打ち上げコンパの席などで他大学の写真部の人にこの話をすると、酔いも手伝って喧嘩に近い激論になりました。
その内容をずっと後の1997年にまとめた文章がこちらです。アッジェの写真が高く評価されるのは、本人は意図していなくても、この文章に書かれたような撮影活動を1900年前後に実践していたからです。
ポイントは以下のとおりです。

  1. 写真の可能性は、撮影者も予測できないまったく新しい映像が、光学的・科学的反応によって出現することである。
  2. 芸術が芸術家の創作意図の表現であるならば、写真はそれを超えたものが出現してしまうという意味において、超芸術である。
  3. 写真における撮影者の立場は助産師のようなもので、新しい映像出現のきっかけ作りを担う人である。
  4. 巧みな写真家は、上記1.のような映像が出現する確率を高める術をよく知っている人である。

30年を経た今なら、この考え方に賛同いただける方が少しは増えていそうな気がします。

“私の写真論” への2件の返信

  1. さすが☆アルファ☆さん、1の確率を高める技術を極めねばなりませんね。。。
    精進します!!

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