「これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫」

たぶん親戚でもなんでもないと思うが、子供の頃の自分のあだ名になったこともあって、他人のような気がしないので、これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫を観てきた。それに先立って、原作である武居俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』もパラパラとななめ読みした。
赤塚不二夫の代表作おそ松くんひみつのアッコちゃんの連載が始まった1962年に私はまだ3歳で、天才バカボン連載開始の1967年には小学校2年生だった。だから私の記憶は、少年サンデー少年マガジンりぼん(もなぜか時々読んでいた)を読んだものよりも、後にテレビからインプットされたもののほうが圧倒的に多いのだと思う。ただ、かなり後になって読んだサンデーかマガジンに、「左手で書いてみるのだ!」というような号があって、子供の目で見ても赤塚の行き詰まりが感じられたのを覚えている。
もう一つこの映画をぜひ見たいと思った理由は、原作が武居俊樹という編集者の目で書かれている点である。分野も編集者の役割もまったく違うけれど、私も過去に経営情報誌の編集者を経験したことがあるので、編集者の苦労を多少なりとも分かっているつもりである。だから、劇場中が大爆笑するような場面でも、ひとり苦笑いしていた。ただ、子供向けの漫画が、あのように作られていたことを知って、かなり複雑な気持ちになった。原作には映画よりもさらにドロドロしたことが書かれている。だからそういう部分が薄められたという意味で、編集者役に女性の堀北真希を起用したのは正解だったと思う。
さて、映画の中身は、ハチャメチャなギャグが半分、赤塚の苦悩が半分の比率だった。彼がアルコール依存症になっていった経緯もよく分かった。フジオ・プロダクションがあった西新宿には、現在は超高層ビルが林立しているが、映画では建設中のビルが背景に映しだされていた。そしてラストシーンでは、完成したばかりの京王プラザホテルが夕日に染まっていた。一つの時代が終わって、新しい時代が来たことが表現されていたのだと思う。

“「これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫」” への6件の返信

  1. 小さいときに良く少年サンデーを買って「おそ松くん」を読んでました。
    1962年と言えばちょうど小学校4~5年でした。
    学校でよく「シェー」やってましたね。
    あっはははは・・・

  2.  面白かったですよね?あんなふうに漫画は作られていたんですね?

  3. 映画まだ見てません。
    私もおそ松やア太郎など、単行本も読んでいましたね。
    どんな映画か見たいですなあ。
    ちなみに私ゃウナギ犬が好きです。

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