政治の目的は、
国民の暮らしをよくすることではない。
もし今までそう思っていたとしたら、
それはまんまと政治家の術中にはまっていたのである。
他の勢力グループに勝って、
権力構造を維持することだけが政治の目的である。
国という存在の起原について、バックミンスター・フラーが「クリティカル・パス」のなかでこのように書いています。
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自分の民と群れの世話をしている羊飼いの王がいる。そこに、ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男がやってきた。彼は羊飼いの王のところに乗りつけ、頭上から見おろして言う。「さて、羊飼いさんよ、あんたがあそこで飼っているのはとてもみごとなヒツジだからな。知っているかい、ここら荒野であんな立派なヒツジを飼うっていうのはかなり危険なんだぜ。この荒野は相当危ないんだ」。羊飼いは答える。「俺たちは何世代もこの荒野でやってきたが、困ったことなど一つも起きなかった」。
それ以来、夜ごと夜ごとヒツジがいなくなり始める。連日のように、ウマに乗った男がやってきては言う。「まことにお気の毒なことじゃないか。ここはかなり危険だって言ったろう、なあ、荒野じゃヒツジがいなくなっちまうんだ」。とうとう羊飼いはあまりに災難がつづくので、男に「保護」を受ける対価としてヒツジで支払い、その男が自分のものだと主張する土地で独占的に放牧させてもらうことに承諾する。
羊飼いが侵入している土地は自分の所有地だという男の主張にあえて疑問をさしはさむ者はいなかった。男は、自分がその場所の権力構造であることを示すために棍棒を持っていた。彼は羊飼いの背丈をはるかに越えて高く立ち、あっという間にウマで近づいて羊飼いの頭を棍棒でなぐることができた。このようにして、何千年も昔に、20世紀でいうゆすり屋の「保護」と縄張りの「所有権」とが始まったのである。小男たちはこのときはじめて、いかにして権力構造をつくり、その結果、いかにして他人の生産力に寄生して生活するかを学んだのだった。
その次に、ほかのウマに乗った連中との間で、誰が本当に「この土地を所有している」と主張できるかを決する大規模な戦いが始まった。……
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“政治の目的” への6件の返信
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この時期に国会議員さんたちは一体何をやってるんでしょうねえ。
これじゃ与党も野党も無いですな。両方とも保身党ですよ。
国会議員というのはそういうものですから。
有事の際だけでも団結できないんでしょうか・・・なんのために国会議員がいるんだろう・・・
今の日本には「政治家」はいませんね。
政治家の偽肩書きを持つ「政治屋」は、たくさんいますけど。
政治にそういうことを期待してはダメです。
「家」も「屋」も結局同じですよ。