津藩の藩主藤堂高虎が、前任地の今治から連れてきた人を住まわせたことに因んだ町名だそうです。私の先祖は山梨から津に移り住んだそうなので、まったく関係ないですが……。
“伊予町” への2件の返信
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赤塚洋の“Living life in peace” vol.1
2004年8月から2017年9月までのブログ(CURURU→ppBlog→Wordpress)
津藩の藩主藤堂高虎が、前任地の今治から連れてきた人を住まわせたことに因んだ町名だそうです。私の先祖は山梨から津に移り住んだそうなので、まったく関係ないですが……。
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これは、百五の横?
三重県人にしかわからん言葉ですね・・・・「百五の横」
旧町名を彫った、これ市内のあちらこちらにあります。
今の町名も知らないのに・・・・
「伊予町」は有名ですね。小学校で習いますから。
バス停もありますし・・・・
藤堂高虎って、ちょっと変な人なんですよ。
加藤清正みたいな武勇伝があるわけでなく、ひたすら徳川家康にゴマをすり、おべっかを使い・・・・
全国の大名の中で唯一城を二つ持ち(津と伊賀上野)、
彦根の井伊家と並んで戦の際には常に先鋒を仰せつかり、
そのくせ鳥羽伏見の戦いでは先鋒のくせに真っ先に官軍に寝返り・・・・
東京の「上野」は、藤堂家の屋敷があったから伊賀上野に因んで「上野」と呼ばれた・・・・あれ、ウソですから!
処世術が上手かった人という印象がありますが、それだけでもないような話もあるし、よく分からない人です。