「ALWAYS 三丁目の夕日 ’64」の感想を書きましたが(→こちら)、「この時代と現在で、どんなことがどんなふうに変わったか?」をまとめてみたくなりました。ただ、私1人が書いてしまうよりも、皆さんにコメント欄にどんどん書き込んでいただければいいなあと思っています。対象年齢を増やすために、比較を’60〜’70年代に広げたいと思います。
(その1)は「子供の生活について」です。
<’60〜’70年代>
- とにかく毎日毎日草野球ばかりしていました。学校の始業前にも昼休みにも運動場で野球していたし、放課後は近くの公園で日が暮れてボールが見えなくなるまで野球をしていました。
- 学校の帰り道に小川やあぜ道でザリガニ採りをしながら帰るのが日課でした。
- インベーダーゲームが登場した1978年に私はもう大学1年生になっていたので、当然子供の頃にはテレビゲームはありませんでした。よくやったゲームは「バンカース」や「人生ゲーム」というボードゲームです。また、かなり大きくなってからも積み木をして遊んでいました。プラモデルもよく作りました。
- いちおう塾にも通ったし受験勉強もしましたが、自分の時間全体に占める割合はかなり少なかったように記憶しています。
- 昔の先生は威厳があって、怖くて、先生の言うことは聞かなければいけないという感覚がありました。それがよかったかどうかは、微妙な問題ですが……
- 何か知りたいことを調べる手段が限られていました。図書館に行っても、田舎の図書館には自分の知りたいことが書いてある本はありませんした。
- 遠くの人と知り合いになる機会も限られていました。
<現在>
- 昔はひとりでに子供が集まって野球の試合が始まりましたが、最近は球技禁止の公園が増えてきました。そのせいか、現在は野球でもサッカーでも、チームに所属してプレイすることが多くなったように思います。自分の下の子は小学校のときに少年野球のチームに入っていました。そのときの友達とは成人した今でも連絡を取り合っているようで、子供にとってはいい体験だったと思っています。
- 地域差がありますが、都会では自然がとても少なくなってきました。子供は自然の中で遊ぶほうがいいと思います。
- ディスプレーとコントローラーを使ってするゲームが子供たちの遊び時間のかなりの部分を占めるようになりました。手触りの実感のない遊びは、子供の成長にとって問題ありと思っています。
- 受験戦争は昔よりも激化していると思います。少子化がさらに進むのだから、大胆な発想の教育改革が必要だと思います。
- 学校という「場」がとても病んでいるように感じられます。はっきり言って、???という先生が増えたと思います。教師は10年くらい別の社会経験を積んでからでなければなれないくらいの制度改革が必要だと思っています。(まあ、????という親もいますが……)
- ちょっとググれば、たいていの情報にアクセスできるようになりました。ただし、受け取った情報の質を見極める力が求められるようになりました。
- その気になれば、世界中の人と交流するチャンスが開けました。
ぜひ、子供の生活について、昔と今の違いをどんどんコメントして書き込んでいただけると嬉しいです。
追記:今気づいたのですが、「子供の生活について」というより「男児の生活について」という内容になっていますね。女性の方にはたいへん失礼しました。「女児の生活について」もコメントしていただけるとうれしいです。
・とにかく毎日:地方版陣取り・鬼ごっこ、三角ベースの野球・ドッチボール、秘密基地建設、チャンバラ
・自然系:川で魚釣り、川や海で泳ぐ、弓を作って狩猟の訓練(これちょっと普通じゃないかもしれない)
・ゲーム:レーシングカー、野球板、メンコ
・捜し物:科学事典・歴史事典・それでは足りないので小学3年の時に百科事典を買ってもらった(ホリエモンも同じことを言ってました)
・遠くの人との交流:米国の若者との文通、アマチュア無線
そうそう昔は「文通」でしたね。私はなかなか勇気がなくてできませんでしたが……
アマチュア無線はやってみたかったです。
遊びでは「めんこ」もよくやりました。駒まわしが流行った時期もありました。
私は、丁度小学~高校生までの期間ほぼ80年代なのですが、参考までに小学生の頃をメインに当時の状況等お話いたします・・・。
一つ目は小学2~3年生の頃ガンプラブーム到来で、放課後近所の小学生が地元のおもちゃ屋に殺到し、行列をなしてガンプラを購入する光景がありました。
二つ目は小学4年生の頃ゲームウォッチを始めとする携帯ゲームが流行、後にファミコン登場によりみんなでTVゲームで遊ぶと言う光景が日常化しました。
しかしながら、当時は現在よりも放課後はみんなで外で遊んだほうが多かったような気がします。
マンホール踏み(缶けりの缶をマンホールに置き換えたようなゲーム)・ろくむし(ルール忘れました。)・ケードロ・秘密基地作成・キックベース等外遊び色々、あと、漫画『キャプテン翼』の影響で野球よりもサッカーで遊んだほうが多いです。
そして、近所には雑木林に田んぼに用水路があったので林で虫を採ったり、用水路等ではその辺で拾った枝に適当な凧糸&餌を付けてザリガニ等を釣ってました。(残念ながら現在ではそれらの大半は宅地造成されて見る影もありませんが・・・)
受験については、小学校はおろか中学校受験など稀で、受験と言うと高校・大学受験がメインだったと思います。
大学受験も、私が通った高校の風潮もあるのですが半分は就職活動をしていたように思えます。
教育現場は、私の頃は学生時代を通して変な先生は殆どいませんでした。
困ったことが起こっても、先生に相談すれば真剣に対応しますし場合によってはクラス会にまで及ぶ事もありました。
私が子供の頃の世代は、おそらく70~80年代、90年代~現在までの間をつなぐ過渡期のような世代で、昔の風習と新しい風習を子供たちの間で自発的に考え、行動し、それらが結果的に上手い具合にバランスが取れていた世代なのかなぁと思ってます。
’80年代もいい時代だったのですね。やっぱり、田んぼのあぜ道や雑木林や里山のようなところで遊ぶ経験が、子供にとってプラスではないかと思います。秘密の基地を作るのは、男の子にとってとてもワクワクする冒険でした。
小学生のころ(60年代)、ヒーローは鉄腕アトム、鉄人28号でしたね。空き地でロボットごっこをした記憶があります。
その他遊びといえば、ベーゴマ、めんこ、そして酒ブタ。一升瓶の酒蓋のコルク部分を取って、テーブルの上で相手を落とすというゲームに熱中しました。
小学生高学年から中学にかけては鉄道マニアになりました。
小遣い集めてはHOゲージを揃えていました。また安いカメラで、SLや電車を写していました。
当時、横浜に住んでいたのですが、鶴見線にはD51が走っており、高島町の機関庫へ通いました。
そのころの写真が出てきます。横浜市電など懐かしいものが写っています。
私はアルファさんと中学、高校が同じですから、ほとんど似たような子供時代を送っていたと思います。
ただ、津は小学校5年からで、4年の終わりまでは紀伊長島という海と山の町で育ちましたから津の子供よりは田舎を体験していたと思います。
ザリガニ採りではなく、サザエやワタリガニを採ってはおやつ代わりにしていました。
真珠の養殖筏から真珠貝の入ったカゴを引き上げて、中のアコヤ貝を石で割って食べたこともあります・・・・さすがに見つかって怒られました!
海辺で遊んでいて怒られたので、次は山に遊びに行き、山の中で日が暮れてしまい遭難しそうにもなりました・・・・と言っても下の町は見えていましたけど。道に迷ってはいけないと思って、山の木の幹に石で傷をつけて目印にして、また怒られました。
冬は近所で焼き芋を買って、それをポケットに入れてカイロ代わりに・・・・
夕方5時までに家に帰る、というルールがありました。
メンコやビー玉遊びもよくやりました。
ゲーム類は野球盤くらいのものでした。
津に引っ越して来て、一番びっくりしたのは、クリスマスの時期以外にもケーキを売っている店があったことでした。
私がSLを撮り出したのは小学校5年生の頃です。友達に誘われて亀山機関区に行ったのがきっかけでSLにはまりました。当時はおおらかな時代だったので、小学生が5人くらいでぞろぞろと機関区の中に入って行っても何も咎められませんでした。一人でけっこう遠くまで写真を撮りに行きました。
さすが紀伊長島は海の幸が豊富でうらやましいですw
子供の頃は、日が沈んで暗くなったら家に帰るという暗黙のルールがあったように思います。それから9時か10時には寝たものです。まあ、中学生になったとたんにラジオの深夜放送を聴くようになりましたが……
「バンカース」て懐かしいです、いまは「モノポリー」ていうんですよね。
「抵当権」なんて言葉の意味は小学生にはぜんぜん分からなかったですが、それでもけっこう楽しかったです。
アルファさんと世代が12ぐらい違うのと、
わたしが沖縄なので、
だいぶ違うきもしつつ。変わらない部分もあるな〜と感じました。
具体的には・・・・。
今日は眠いのでパスです。[zzz/]
私も今週は疲れ気味なので、今夜は早く寝ようと思っています。