大学入試改革について

これはまだ思いつきのレベルなので、「オピニオン」ではなく、「雑感」のカテゴリにアップします。
私はかねてから暗記中心の日本の教育に疑問を感じていました。とりわけ大学入試は、おそらく社会に入ってからほとんど役に立たないであろうことをひたすら覚えなければなりません。これは苦行以外の何者でもありません。採点の効率化のために4択や5択の問題が多用されていますが、これは「世の中のどんなことにもたった一つの正解があって、それを選びさえすればいい」という思考パターンを若者に植えつけてしまう傾向が強いです。さらにITの発達によって、一つひとつの事柄は覚えていなくても、それを容易に探し出すことが可能になりました。これは大きな変化です。そこで、とても乱暴な提案ですが、

入試会場にはネットに繋がったパソコンを持ち込み可にすればいいと思います。

いくらでも検索してOK。誰かにメールをして教えてもらってもOK(そういう人的ネットワークを持っていることもその人の能力の一部です)。そうやって調べられることはみんな調べたうえで、それを土台にして、いかに自分なりの論理展開や筋の通った主張ができるかを問うような問題を出すのです。
ただ、この方法には大きな欠陥があります。「いかに自分なりの……」という部分までも人に聴いてしまうことが可能なことです。それを請け負うビジネスも絶対に出てくるでしょう。試験問題をメールで外部に送って、誰かにまるごと答案を作ってもらうことも簡単にできるのですから……
ということで、これはまだ単なる思いつきです。
追記:ブログを書き終わってから、少し改良できることを思いつきました。試験を2つのステップに分けて、第1ステップはネットを駆使してOK。ただし、その時点では第2ステップの問題内容は明らかにせず、第2ステップが始まったら従来の試験のように外部との接触を禁止すればいいかもしれません。

“大学入試改革について” への6件の返信

  1. ネット環境と言うのは、地域・家庭・学校などいろいろな状況で
    みなさん違うことを念頭に置かねばなりません。
    やはりお金も掛ります。
    暗記中心が悪いとは思いません。それを応用してさらに発展させれば
    良いことで、暗記だけで終わらせればダメと言うことです。
    特に理科系は基礎を覚えておかねば、なにもできなくなります。

  2. わたしも同感です。
    選択問題、暗記中心というのは無理がでてきますよね〜。
    検索もありでいいのではと思っていました。
    外付けHDD(・∀・)オッケー!とかね。
    日本語(漢字)の試験は別に必要か・・・。でも最低限レベルでいいのかもです。
    小学校のときから議論の授業とか必要かもですね。
    答えのない問題、意見の授業、
    でも、これを教える先生のスキルもまた必要か・・・。それを専門とする会社とかできればいいのか・・・・。
    世の中白黒じゃにですからね〜。100でも0でもない。49か51とかの論議、
    ブレストとかも小学校からやるのいいかも、
    とにかく教育大事ですが。試験のための教育、試験のための勉強になってますね。
    とまとまになく終了、

  3. デジタル技術が進むと、世の中のすべてのことが0か1か、◯か×か、勝ちか負けかに分類してしまえそうに思いますが、複雑な事象はほとんどがアナログ的性格を持っています。デジタルはそれを近似しているのに過ぎないことにもっと気づくべきです。

  4. 金子郁容の「ボランティア」という名著のなかで「動的情報」という概念が述べられていてます。私はその概念に深い感銘を受けたので、その後、私が物事を考えるときのベースになっています。「動的情報」は、世の中を変えていく力を持っています。それに対して、今学生たちが暗記を強いられているのは、ほとんどが「静的情報」です。
    追記:
    暗記の必要性に対して私はかなり強固な否定論者ですが、正しい動作や基本を体に覚えさせるということは必要であり、かつ重要だと思っています。
    同様に、人としてやってはいけないこと、守らなければいけないことに対して、けっして軸がブレない人間になることも必要です。でも、それは暗記とはかなり次元の違うことです。

  5. 大勢の人が勘違いをしていますが,入試は,実は試験ではありません.
    志願者のすべてを,合格と不合格のいずれかにに分ける作業ですから,
    これは(学力)検査といいます.
    (逆に就職は客観判断以外の要素が入るので試験となります)
    検査ですから,客観的で具体的で説得性のある判定基準がないと
    成立しません.まずはそれを構築することが必要ですね.

  6. 採点者によって点数が変わっては不公平が生じるので、客観的で明解な採点基準が必要ですね。しかも、その基準が公表されることが必須要件だと思います。

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