宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞のなかにどきっとするフレーズがあります。
どんな言葉並べても
真実にはならないから
近代科学は、世の中の事象を言葉・数式・数字などに置き換えて、それを要素還元的に細かく分解して調べていきます。その結果、たくさんの新しい法則が導き出され、私たちの生活を画期的に変えてきたのは紛れもない事実です。しかし、要素還元的に分解する過程で、物事の本質が失われてしまうという批判があります。実際の世界は、さまざまな関係性が複雑に絡み合う「複雑系」だからです。
また、いったん近代科学の言葉に置き換えてしまうと、現実の世界とはかけ離れた机上だけで分析が進んでしまうことがよくあります。重要で本質的な箇所はもっと別のところにあるのに、とりあえず数学などの分析手法が利用可能な部分だけに焦点を当てて研究が進められます。街灯の下で鍵を探す例え話はこのことをよく表していて、世の中を変えていく道筋を誤らないための重要な示唆が含まれていると感じています。
ある公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。そこに通りかかった人が、その男に「何を探しているのか」と尋ねた。すると、その男は、「家の鍵を失くしたので探している」と言った。通りかかりの人は、それを気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからなかった。そこで、通りかかりの人は、男に「本当にここで鍵を失くしたのか」と訊いた。すると、男は、平然としてこう応えた。「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんですが、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんです」
「近代科学の終焉(北沢方邦著)」は、近代科学に代わる新しい人類の知を提唱する一冊で、私は15年くらい前に読んで強い感銘を受けました。この本の要約を「Summary」のカテゴリーに載せる準備をしています(アップできるのはまだまだ先になりそうですが……)。
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