私のもうひとつのサイト「Photo Gallery α 赤塚洋作品集」には、写真の魅力(=私が目指している写真)について書いた文章「写真とは何か」が掲載されています。このサイトを作った1997年3月から毎週1話ずつアップしていったものです。全17話の構成ですが、ごく簡単に要約すると以下のような内容です。
- 人間が知覚している現実は生の現実ではなく、視覚や聴覚などの器官を経て脳によって「知覚された現実」である。さらに過去の経験や常識などをもとに形成された「意味」がこれに付け加えられている。
- 形成されている「意味」の範囲を超えない予定調和的な写真は見ていて安心ではあるが、そこから新たな感動が生まれることはない。
- 写真の圧倒的な描写力の結果、「知覚され意味が加えられた現実」とは違った強い印象が沸き起こってくることがある。それは写真を見た瞬間に「意味」よりも先にやってくる。
- 人間が作り出す多くの人工物は、人間によって制御され管理されているので、人間の思考の枠を超えることはできない。しかし、写真は人間の制御を超えて新しい世界を出現させる可能性を秘めている。
中平卓馬は「決闘写真論」のなかで、アッジェの写真を見た時に感じる現実とのズレを「捻れ」と表現しています。彼はこの「捻れ」に不安を抱いていましたが、私はこの「捻れ」にこそ、写真の甘美な魅力があると考えています。ロラン・バルトが「明るい部屋」のなかで述べている「プンクトゥム(Punctum)」も、同じような概念ではないかと思っています。
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