三重県津市に高野尾町というところがあります。市町村の合併で現在は津市になっていますが、それまでは安芸郡高野尾村→同郡豊里村大字高野尾と変遷してきました。花卉園芸が盛んで、位置的には亀山市と隣接していています。
私の祖父は高野尾で生まれました。高野尾には「赤塚」の苗字がとても多く、伝え聞いた話なので信憑性は「?」ですが、ご先祖様は戦国時代の下級武士で、戦に負けて落ち延びて、この地に住み着いたのだそうです。祖父は長男ではなかったので、成人すると家を出て名古屋で暮らすようになり、そこで父が生まれました。そして1945(昭和20)年の名古屋大空襲で焼け出されて、津市の現在の実家の近くにやってきて個人商店を始めました。
私がまだ幼児だった頃の断片的な記憶のなかで、印象深く残っていることがあります。その一つはゆで卵です。私が高野尾の親戚の家に行くと、おやつ代わりにゆで卵をもらいました。自宅のゆで卵がかた茹でなのに対して、親戚の家のゆで卵はとろりとした半熟の加減が絶妙で、とてもおいしかったのを覚えています。たぶんそれは、地鶏が産んだばかりの卵だったのでしょう。
あるとき、祖父母、大伯母?、私の4人で、高野尾の里山に山菜を採りに行き、ワラビやゼンマイなどをたくさん採ってきたことがありました。里山の緩やかな斜面を何度も登り降りしながら歩いて行くと、急に視界が開けて、牧場のような場所に出ました。その風景は、北海道や信州にある牧場のような感じで、とても印象深く記憶に残っています。後から、そこは三重大学農学部(現在の生物資源学部)の農場だと教えてもらいました。
今回、お正月に約半日の自由な時間ができたので、幼い頃の思い出の場所を訪ねてみました。今更ながらに気づいたのですが、実家の前のバス停から、「豊里ネオポリス行き」か「椋本行き」のバスに乗ると、乗り換えなしに高野尾まで行くことができます。
幼児の頃に山菜を採った里山は、たぶんこの大規模な団地に変わったのでしょう。
三重大学の農場は、思い出の風景とはかなり印象が違いました。門は隙間だらけなので中に入って行けないことはないけれど、お正月から悪いことをしたくないので、これより先に入るのは自粛しました。
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