奉安殿は、教育勅語制定後の1910年代に全国の学校に建てられた建物で、中には天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語が納められていました。式典の際には職員生徒全員で御真影に対する最敬礼と教育勅語の奉読が求められ、登下校時や単に前を通過する際にも服装を正してから最敬礼するように定められていました。震災、空襲、校舎火災に際して、御真影を守ろうとして校長などが殉職したこともありました。
忠魂碑は、明治維新以降の戦争や事変における戦死者の天皇への忠義を称える意味で建てられた碑です。学校には奉安殿とセットで建てられました。
終戦後、軍国主義の排除・国家神道の廃止などの目的でGHQが発した「神道指令」によって奉安殿は廃止され、御真影は焼却されました。沖縄においては「やんばるの森」で焼かれたと伝えられています。
美里村(現在の沖縄市知花)にあった「美里尋常高等小学校」の跡地は、現在では「美里児童園」になっています。園内には奉安殿と忠魂碑が両方とも残っていて、歴史を伝える史跡として市の文化財に指定されています(→こちら)。周囲を整備するためでしょうか?私が行った時には工事が行われていました。
沖縄戦の概要はWikipediaに詳しく書かれています(→こちら)。下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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