2013年から何度か沖縄本島の戦跡を訪ねてきましたが、沖縄本島以外の島にも戦争の傷跡がたくさん残されています。今後数年のうちに訪ねようと考えている戦跡をピックアップしました。
【座間味島】
太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地
沖縄本島に先立って、米軍は1945(昭和20)年3月26日に座間味島に上陸します。日本側だけでも19万人近い命を奪った沖縄戦はこの場所から始まったのです。
集団自決之地の碑(産業組合壕跡)
米軍上陸前の3月23日の夜、この場所で村長以下67名が集団自決しました。他の場所でも集団自決が行われ、座間味島全体では234名が集団自決したとされています。沖縄戦における集団自決の詳細は(→こちら)
平和の塔
戦没者を慰霊する塔。兵士・住民合わせて1,200名以上の犠牲者が「平和の守り神」として祀られています。
【渡嘉敷島】
白玉之塔
戦没者を慰霊する塔。日本将兵81名、軍人軍属92名、防衛隊42名、住民383名の名前が刻まれています。
集団自決跡地
住民329人が集団自決した場所です。
【伊江島】
交益質屋跡
戦闘で島内のほとんどの建物が焼き払われたなかで、かろうじて残った建物です。
伊江島補助飛行場
当時は東洋一の規模を誇った飛行場で、現在は米海兵隊が使用(区域内の一部の道路は通行が認められています)。
【石垣島】
戦争マラリア犠牲者慰霊碑
沖縄戦の犠牲者は、戦闘による死者だけはありません。当時はまだマラリアが発生していた山岳地域への疎開を軍が命じたため、多数の一般住民がマラリアに罹って亡くなりました。「戦争マラリア」の詳細は(→こちら)。
【西表島】
忘勿石之碑
軍の命令によって、波照間島の全島民が西表島の南風見田に強制的に疎開させられました。当時のこの付近はマラリアの発生地域で、疎開させられた島民のほぼ全員がマラリアに罹り、そのうち1/3の人が亡くなりました。なお、現在の立派な碑の脇にひっそりとあるのが本来の「忘勿石(わすれないし)」です。
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