先日、「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」のことを紹介しました(→こちら)。波照間島にも疎開命令が出て、全島民が強制的に西表島の南風見田(はえみだ)に疎開させられました。この場所も当時はマラリアの発生地域だったので、1590名の島民のほぼ全員の1587名がマラリアに罹患し、このうち3分の1近い477名が亡くなりました(→こちら)。なお、この疎開に関わった山下虎雄陸軍軍曹(偽名)が島民に対して恐怖統治を行ったことが伝えられています(→こちら)。
西表島での惨状を見かねた波照間国民学校の識名信升校長は、密かに石垣島に渡って、八重山諸島守備隊の宮崎旅団長に直訴し、やっとのことで疎開命令が解除されました。識名校長は、西表島から波照間島に戻る前に、南風見田の浜にあった石に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻み込みました。これが「忘勿石(わすれないし)」です。
「忘勿石之碑」。実際に識名校長が「忘勿石 ハテルマ シキナ」と書いた石はこの碑の右下にあります。
こちらが識名校長が書いた「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字。
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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