こちらの記事で中島飛行機の武蔵製作所に関係する戦跡を紹介しましたが、戦後の1951年にその跡地に、51,000名も収容できる「武蔵野グリーンパーク野球場」ができました。ただし、交通の便が悪いなどの理由で、完成後わずか5年で解体されるという短命に終わってしまいました。現在は、円形の外周道路だけが当時を忍ばせる跡として残っています。
下の写真はまったく違う場所(江東区新砂1丁目)ですが、沢村栄治や景浦将が活躍し、打撃の神様川上哲治がここでデビューした「洲崎球場」の跡です。この球場も開場から7年ほどで解体されました。
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