八重瀬町富盛の高台にある石彫大獅子(シーサー)には、痛々しいほどの銃撃の痕があります。どうしてこんなに弾痕があるのか、その理由が分かる写真が残っています(一番下の写真:東風平町史から)。米軍がこのシーサーを盾にしていたのです。
なお、このシーサーは、記録があるものとしては沖縄県内で最も古いシーサーで、1689年にここに設置されたそうです。琉球第二尚氏王朝第11代・尚貞王の時代、本土では5代将軍綱吉の時代です。
下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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