歩兵第32連隊は日本陸軍の連隊の一つで、主に山形県出身者によって構成されていました。シベリヤや満州で活躍した精鋭部隊で、沖縄戦でも首里司令部を死守する重要な任務についていました。6月23日に摩文仁で牛島司令官が自決し司令部が消滅した後も、糸満市国吉の壕の中に潜んでいましたが、玉音放送後の8月22日に米軍の軍使と接触し、翌23日に生存将兵約50名が敬礼する中で軍旗を奉焼しました。
この同じ丘には、沖縄だけでなく海外諸地域で戦没した山形県出身者4万余柱の霊を祀っている「山形の塔」があります。
下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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