沖縄戦に動員された女学生の学徒隊のなかでは「ひめゆり学徒隊」が特に有名ですが、他にも「白梅学徒隊」「なごらん学徒隊」「瑞泉学徒隊」「積徳学徒隊」「悌梧学徒隊」「宮古高女学徒隊」「八重山高女学徒隊」「八重農学徒隊」が編成されています。
「積徳学徒隊」は、私立積徳髙等女學校の生徒によって編成された学徒隊で、25名が豊見城城址にある第24師団第2野戦病院に配属されました。主な仕事は、手術の補助、切断した手足の廃棄、傷病兵の看護、水汲み、食事の運搬などです。その後、戦況の悪化により、野戦病院は糸満市の糸洲壕へ撤退します。そして、6月23日に学徒隊に解散命令が下された時、病院長・小池勇助軍医は、「捕虜になることは恥ではない、本当の恥は死ぬことだ。決して死んではいけない。必ず生きて家族のもとに帰りなさい。そして凄惨な戦争の最後を、銃後の国民に語り伝えてくれ。」と話したそうです。当時は「鬼畜米英」「捕虜になるくらいなら死を」という考えが広く浸透していたために、他の学徒隊では自決した学徒が多かったのに対して、小池軍医のこの言葉のお陰で、碩徳学徒隊の生存率は高く、25名中22名が生き残ったそうです。ただ、残念なことに、小池軍医自身は解散後に自決しています。
下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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