この記事の続編です。
1945(昭和20)年4月1日の朝、米軍は読谷村・嘉手納町・北谷町の海岸線から沖縄本島に上陸しました。前の記事は読谷村にある地碑でしたが、今回は北谷町にあるモニュメントです。日本軍は持久戦を予定していたので、上陸時には激しい戦闘は行われませんでしたが、これは序章にすぎず、組織的戦闘が終結したとされる6月23日にかけて、住民を巻き込んだ激しい戦闘が繰り広げられることになります。
たまたまモニュメントの後方を、嘉手納基地に着陸する米軍機が通過していきました。
下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
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