(その1)では「伽藍方式」はリーダーの暴走を許す仕組みであると述べました。
ウクライナに侵攻したロシアはその端的な例ですが、実は世界中のほとんどの国が同じ課題を抱えているという点を見逃してはいけません。多くの国が、たまたま現在の大統領や首相や王がそんなことをする人ではないという幸運に恵まれているだけです。現に、今にも暴走しようとしているリーダーや、すでに暴走しているリーダーがいます。このようにトップに座る人の考え方如何によっては暴走してしまうかもしれない性質は、「国」という存在の本質に根ざした問題です。
ここでもう一度「国に代わるもの」の特徴を挙げておきます。
- 「国に代わるもの」の運営は、「伽藍方式」によってではなく、「バザール方式」によって行われる(「伽藍とバザール」については→こちら)。
- 「国に代わるもの」では、代議員が運営方針を決めるのではなく、構成員一人ひとりが直接意見を述べることができる(直接民主主義)。
- 多数決によってたった一つの方針を決めるのではなく、多様な意見や主張がそれぞれ尊重され、お互いに対立しないように調整される。
- 一つの方針を打ち立てて「民」を率いる「リーダー」はもはや存在せず、多様な意見や主張を調整する「コーディネーター」が重要な役割を果たす。
- 「税」の本質は「小男による収穫物の横取り」なので、これは廃止される。「民」は自分が受けた公共サービスに対して、適正な代金を支払う。さまざまな理由で代金を払うのが困難な人には、代金の免除などの措置が講じられる。
- 「国に代わるもの」の範囲は、かならずしも地理的な区域と一致しない。
- 複数の「国に代わるもの」の間で意見の食い違いが生じた場合にも、話し合いによって解決され、戦争のない世界が実現する。
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