この記事の続編です。
8月から始めた図書館通いも2ヶ月が経過しました。
- 古代文明の王たちはどうして絶大な権力を持ちえたのか?
- 一般庶民はどうして王の支配に従ったのか?
- 人間はどうして宗教(特に一神教)を信じるようになったのか?
- 苦痛や負担が大きい宗教的儀式を、人間はどうしてこんなに熱心に執り行うのか?
このような「どうして?」を何年も前からずっと考えてきましたが、この2ヶ月の読書によって、その答えに近づけたような気がしています。リチャード・ドーキンス著『神は妄想である』は、タイトルから分かるように、宗教(特に一神教)について書かれた本です。この本の「第5章 宗教の起源」で述べられていることをかなり大雑把に要約すると(「ミーム」という概念抜きで要約すると)、以下の太字のようになります。
太古の昔に初期人類が置かれた環境はとても厳しく、自然淘汰の結果、生存にとって有利に働く次のような遺伝子が優位となっていった。
- 親や部族の長老の言うことは何であれ信じる遺伝子
- 危険な動物などに遭遇した際、分析的に考えるよりも、まず相手の「志向」をつかもうとする遺伝子
- 集団内メンバーを優遇し、よそ者には敵対的に振る舞う遺伝子、など
宗教は、かつては生存のために有利に働いたこれらの遺伝子の「誤作動」による「副産物」である。
この説明は、宗教だけでなく、現代社会で起きている多くの事象にも適用できると私は考えます。言い換えれば、現代の社会や文化の有り様は、自然淘汰の結果として古代の初期人類に備わった遺伝子の、長い時代を超えた「延長された表現型」ではないかと思うのです。
であれば、太古の昔に初期人類がどんな環境に置かれていたのか、その環境を生き抜くためにはどんな行動パターンが有利だったかを分析すれば、上記の4つの「どうして?」以外にも、現代社会で起きているいろいろな事象の根本的な理由が説明できるような気がします。例えば、
- 国、民族、宗教、支持政党などの違いによる対立や分断はどうして起きるのか?
- 人はどうして武器を持とうとするのか?
- 人が作る組織はどうしてピラミッド型の構造になるのか?
- 人はどうして問題を先送りしたがるのか?
- 人はどうして「政治のことはお上に任せて…」と考えるのか?
- 人はどうして際限なく富を増やそうとするのか?
現代社会のいろいろな不条理を人類が克服するためには、遺伝子が命ずる「本能」を超えて、人間が人間たる所以である「理念」のレベルで行動することが必要なようです。
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