首里の陸軍第32軍司令部壕跡には2015年11月以来の再訪です。前回の記事は(→こちら)。大きく変わっていたところはありませんでしたが、前回見落としていた入口も見つけることができた他、ストロボを発光させて、鉄格子の隙間から少しだけ内部を撮ることもできました。奥に続く通路がすぐあるのではなく、入り口付近は衛兵詰所のスペースになっているようです。
多くの観光客が訪れる首里城守礼門のすぐ近く(北側の階段を降りたところ)に、このような戦跡があることを知っている人はとても少ないと思います。豊見城市の旧海軍司令部壕のように、内部を一般公開してほしいと思います。
鉄柵の隙間から中を覗いたところ。このスペースは衛兵詰所で、たぶんこの左側に、奥へ続く通路があるのではないかと思います。
以前来た時に見落としていたもう一つの入り口。
司令部壕の全長は1,000mに及び、1,000名以上の将兵を収容していたと言われています。
沖縄師範学校男子部の学徒(師範鉄血勤皇隊)もこの壕の構築や護衛に動員されました。
別の入り口。
隙間から中を覗いてみたところ。このスペースも衛兵詰所となっていたようです。
合同無線通信所の入り口。以前来た時には木の板はありませんでした。鉄格子が壊れたので、板で補強したのでしょうか?
下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。
分類 | 死亡者数 |
---|---|
県外出身日本兵戦死者 | 6万5908人 |
沖縄県出身軍人・軍属 | 2万8228人 |
戦闘に参加・協力して死亡した住民 | 5万5246人 |
一般住民 | 3万8754人(推定) |
合計 | 18万8136人 |
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら) |
このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!
私の基本的な考えは以下の通りです。
- 人と人が殺し合ってはならない。
- 人を殺すための道具を持ってはならない。
- 武力に対して武力で対抗してはならない。
- 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。
世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。
【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。
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