(その1)の続編です。
中尾山古墳は古墳時代終末期の8世紀初頭の古墳と言われていますが、天皇陵級の古墳に見られる八角墳である点や、豪壮な横口式石槨を有する最高級の火葬墓(火葬墳)である点などから、文武天皇の陵であることが有力視されています(なお現在、文武天皇陵とされている古墳は、この古墳から数百メートル東南の場所にあります)。
文武天皇は、(その1)でふれた天武天皇と持統天皇の孫にあたります。天武天皇と持統天皇の皇子の草壁皇子は27歳の若さで亡くなってしまいますが、その第一皇子の珂瑠皇子(のちの文武天皇)がまだ幼少だったため、天武天皇の皇后の鸕野讚良皇女(文武天皇から見れば祖母)が持統天皇として即位します。そして、697年に文武天皇が15歳で即位することになります。
なお現在、文武天皇陵とされている古墳はこちら。
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