大塚ひかり著 『女系図でみる日本争乱史』(新潮新書)を読みました。
本書の冒頭にこう書かれています。「昔の天皇の妻の数は多いものとはいえ、中でも8人以上の妻を持つのは、第12代景行8人(計算によっては9人)、第15代応神9人、第26代継体9人、第38代天智9人、第40代天武10人、第50代桓武26人(27人、30人説もあり)、だ。…<中略>… 要するに、戦争や事変が起きた時、皇統存続が危ぶまれた時、天皇の妻や子の数は増えるのだ。」 (このなかには実在について諸説がある大王・天皇も含まれています。すべて死後の漢風諡で記載しています)
それぞれの王朝で起きた主な出来事を見ると、
- 景行王朝では、皇子ヤマトタケルの西征東征
- 応神王朝では、異母兄たちとの皇統を巡る争いと、その母神功皇后によるいわゆる“三韓“征伐
- 継体王朝では、王朝断絶の危機
- 天智王朝では、即位前の乙巳の変と大化の改新
- 天武王朝では、壬申の乱
- 桓武王朝では、平安京への遷都と蝦夷征討
文中に効果的に挿入されている女系図が理解の助けとなり、権力を奪い取るためなら、あるいは権力を子や孫に引き継ぐためなら、なんでもアリだったことが伝わってきます。
特に驚いたのは、兄・天智天皇と弟・天武天皇の間の姻戚関係です。天武天皇の皇后の持統天皇が天智天皇の皇女だということは前から知っていましたが、それは氷山の一角でした。天武天皇は天智天皇の娘を4人も妻にしています(その1人が持統天皇)。一方、天智天皇の14人の子のうちで結婚していることが確実な11人全員が、天武天皇かその子と結婚しています(下の図を参照)。これほどまでに婚姻関係を結んだのは、彼らの関係が必ずしも良好なものではなく、いつ敵になるか分からなかったからだと筆者は分析しています。それでも天武天皇と大友皇子(弘文天皇)の間で壬申の乱が起こりました。
日本の歴史上の大きな出来事は、為政者とその血縁者というごく少数の人の個人的な思惑によって引き起こされています。このことは、この1年間に読み進めてきた進化心理学の知見ともピッタリ一致します。たとえば、亀田達也著『モラルの起源』(岩波新書)は、小集団内におけるホットな情動的共感と、集団の枠を超えたクールな認知的共感を区別しながら、「私vs.私たち」及び「私たちvs.彼ら」の倫理・正義の衝突という重いテーマを扱っています。その内容に照らして、本書『女系図でみる日本争乱史』を読むと、日本の歴史がもっぱら「私」または「私たち」の都合によって動かされてきたことが浮き彫りになります。
なお本書において、根拠にしている史料(『藤氏家伝』や『日本書紀』など)が誰の目線で書かれたものかを常に考慮している点は、とても好感が待てます。
■天智天皇と天武天皇の姻戚関係(『女系図でみる日本争乱史』より)
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