この記事の続編です。
縄文時代と弥生時代を比較すると、日本列島に住む我々の祖先が「どこでどう道を誤ったのか?」が見えてきます。食料等の蓄えが可能になるとともに、社会が階層化・複雑化して、リーダーが登場すると、争いが起きるようになります。なお、比較は主に『縄文時代ガイドブック』と『弥生時代ガイドブック』によっています。
完新世初頭(1万1500年前頃)から1万年近く続き、弥生時代とも重なる | 日本列島で食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまで(紀元前10世紀頃から紀元後3世紀中頃まで) |
縄文土器は、食料の煮炊きに使われる実用的な器で、文様は縄目文様だけでなく多様 | 弥生土器は、縄文土器よりも形や装飾が簡素で、より高温で焼かれている |
植物採集・狩猟・漁労が主な生業(当時の日本列島は食物資源が豊かだった) | 水田稲作が基盤だが、畠で他の作物の生産やイノシシ類の飼育なども行われた |
単婚家族が竪穴式住居に定住した。小さな集落は1〜数棟、大きな集落でも数十棟と小規模 | 数棟の小規模な集落から、数十万平方メートルに及ぶ超巨大集落まで規模は多様 |
集落の上位組織としての村落があった | 複数の集落がまとまって地域社会が形成され、やがて律令国家へと繋がっていった |
身分階層はなく、互恵と平等に基づく氏族共同体だった | 集落や地域社会を束ねるリーダーが登場し、社会が階層化・複雑化した |
翡翠などが取引されていたが、利益を目的とした「交易」というより「交換」のレベル | 朝鮮半島や中国とも広く交易があった |
原始的な宗教(アニミズムなど)はあった | 祭司や儀礼が発達し、多様な祭器が作られたが、特に銅鐸などの青銅器が重要視された |
敵からの防御を目的とした濠や物見櫓などの設備はなかった | 人を殺傷する目的の武器が作られ、防御を重視した環濠集落や高地性集落が発達した |
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