デマやフェイクや誹謗中傷がSNS上で急拡散することが問題となっていますが、これに対するマスコミの論調は「SNSの負の側面」とか「SNSの闇」といった具合に、SNSの存在自体をネガティブに捉えるものが多いと思います。でも、私は「それは批判の矛先が違うんじゃないか」と違和感を感じています。
たしかにSNSには、閲覧数が稼げそうなコンテンツなら、デマでもフェイクでも、なんでもアップしようする傾向があるのは確かです。でも閲覧数や視聴率が最優先なのは、広告料収入を原資に無料で提供されているメディアすべてに共通することで、むしろテレビなどのマスコミのほうが先輩格です。これは、行き過ぎた商業主義と、広告料収入に依存したビジネスモデルに起因する問題です。
また、国民を思想的に操作する目的でSNSが為政者たちに悪用されることがありますが、過去の歴史を振り返ると、それはマスメディアに共通する現象です。第二次世界大戦中の日本のメディアのことを思い出してください。
問題の根っこは、SNSにあるのではなくて、多様性を尊重する意識が十分に浸透していないからとか、勝ち組・負け組といったall or nothing的な思考が支配的だからとか、金儲け第一主義が横行しているからとか、教育の内容が画一的で受験予備校的だからとか、そういった社会の在り方のほうにあると思います。
そんなことを感じながら、以下に2017年に書いた記事を再々掲します。
SNSで盛んに交わされている情報は、金子郁容が『ボランティア もうひとつの情報社会』の中で述べている「動的情報」です。「動的情報」は、「進んで人に提示し、それに対して意見を言ってもらい(つまり相手から情報をもらい)、相手から提示されたその情報に対して、今度はこちらから自分の考えを提示する……という相互作用の循環プロセスによって生み出される情報」です(詳しくは→こちら)。「動的情報」は、従来は人が直接会って会話したり、あるいは文通したりして交わされてきましたが、インターネットの普及、とりわけSNSの普及によって、とても容易に、高い頻度、高い密度で交わされるようになりました。これは歴史的には、グーテンベルクによる活版印刷技術の発明に匹敵する革命的な出来事だと思います。
SNS上では、有益な情報も悪意や犯罪性のある情報も同じように交わされています。でも、それは従来のコミュニケーション手段でも同じことです。ただ、情報交換の頻度と密度が高いので、それぞれの情報が世の中に与える影響が大きくなったことは確かです。現在のSNSに対するマスコミの批判的な報道をグーテンベルクの時代に置き換えると、「活版印刷は犯罪を助長するような情報を大量に世の中に広めるから実にけしからん!」というような感じになるのではないでしょうか。マスコミがSNSをはじめとするICTに対して総じて批判的な立場を取るのは、メディアの主役の地位を奪われそうだという危機感があるからかもしれません。
【追記】「SNSには本当でない情報もたくさん流れているから……」と言う人が多いですが、それはそっくりそのままマスメディアが流す情報にも当てはまります。まるでマスメディアの情報は全部正しいかのような言い方に強い違和感を感じます。
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