国という存在の起原について、バックミンスター・フラーが「クリティカル・パス」にこのように書いています。
自分の民と群れの世話をしている羊飼いの王(※)がいる。そこに、ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男がやってきた。彼は羊飼いの王のところに乗りつけ、頭上から見おろして言う。「さて、羊飼いさんよ、あんたがあそこで飼っているのはとてもみごとなヒツジだからな。知っているかい、ここら荒野であんな立派なヒツジを飼うっていうのはかなり危険なんだぜ。この荒野は相当危ないんだ」。羊飼いは答える。「俺たちは何世代もこの荒野でやってきたが、困ったことなど一つも起きなかった」。
それ以来、夜ごと夜ごとヒツジがいなくなり始める。連日のように、ウマに乗った男がやってきては言う。「まことにお気の毒なことじゃないか。ここはかなり危険だって言ったろう、なあ、荒野じゃヒツジがいなくなっちまうんだ」。とうとう羊飼いはあまりに災難がつづくので、男に「保護」を受ける対価としてヒツジで支払い、その男が自分のものだと主張する土地で独占的に放牧させてもらうことに承諾する。
羊飼いが侵入している土地は自分の所有地だという男の主張にあえて疑問をさしはさむ者はいなかった。男は、自分がその場所の権力構造であることを示すために棍棒を持っていた。彼は羊飼いの背丈をはるかに越えて高く立ち、あっという間にウマで近づいて羊飼いの頭を棍棒でなぐることができた。このようにして、何千年も昔に、20世紀でいうゆすり屋の「保護」と縄張りの「所有権」とが始まったのである。小男たちはこのときはじめて、いかにして権力構造をつくり、その結果、いかにして他人の生産力に寄生して生活するかを学んだのだった。
その次に、ほかのウマに乗った連中との間で、誰が本当に「この土地を所有している」と主張できるかを決する大規模な戦いが始まった。……(『クリティカル・パス―人類の生存戦略と未来への選択』バックミンスター・フラー、 梶川 泰司訳 白揚社 P135~136)
有史以前から21世紀の今日まで延々と続いている「支配・被支配の関係」は、こんな物語から始まったのだと思います。今日の政治家は、一見民主的に見える方法で選ばれてはいますが、その本質において「ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男」の末裔であることに疑いの余地はありません。
この物語にしっかり終止符を打つことが、人類の大きな課題だと思います。
(※)原文は「king shepherd」。国ができる前の時代の物語に「王」が登場するのは違和感を感じますが、たぶん「長」や「リーダー」という意味だろうと思います。
ウマにまたがった小男は、羊飼いに、
「馬を鹿と」言わせながら、
支配しているのでしょうね。
力によって事実を曲げてしまえと思っている人がいるには、恐ろしいことです。