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Consideration

道長が頼通に言った「家の…繁栄のためではないぞ」から思うこと

10月6日に放送された大河ドラマ「光る君へ」の第38回「まぶしき闇」で、藤原道長が長男の頼道に「なすべきは揺るぎなく力をもって民のためによき政を行うことだ」「家の…(少し間をおいて)…繁栄のためではないぞ」と言った言葉が、その後ずっと心に引っかかっています。

おそらく道長は、本心は家の繁栄のためだと思いながらも、それを正当化するため、あるいは自分に(頼道よりむしろ自分自身に)言い聞かすために、そんな言い方をしたのではないかと思います。しかし、それはあまりに自分勝手な論理のような気がします。

「揺るぎなく力をもって民のためによき政を行う」という論理の背景には、「自分とその後継者のみが正しい政を行える」「他の家の者が行う政は常に間違っている」という前提があります。政の本質は、「治世」ではなく、あくまでも家単位の「権力闘争」なのです。

【追記】道長の野望がありありと分かる家系図

家系図

世界中のほとんどすべての国には、一人の為政者(国王、元首、大統領、首相、宗教の指導者など)がいて、大きな権力を握っています。そのなかには善政を敷く人格者もいますが、他国を侵略してなんの罪もない多くの人々を殺している犯罪者もいます。たまたま現在の為政者が善人であっても、次の為政者がそうであるとは限りません。「選挙」という一見民主的に見える方法で選ばれた為政者でも、信じられないような残虐行為をする例が歴史上たくさんあります。ヒトラーも民主的な手続きを経て権力を手にしました。

権力は、ピラミッド型の伽藍組織に固有の概念です。なぜヒトはこんなにも権力に憧れるのか?ヒトを高い地位へ駆り立てているのは、高い知能の獲得に伴ってヒトの心に芽生えた自尊心です。自尊心の脆さから生じる攻撃的な反応が、ヒトの残忍性を加速させます。(→こちら)。

しかし、同じ自尊心を持っていても、違う環境に置かれると、ヒトはそれほど地位に固執しなくなります。たとえば、ヒトの進化史のほとんどの期間を占める狩猟採集社会においては、ヒトは比較的平等だったようです。ところが、今から約一万年前に、社会が階層化して、ピラミッド型の伽藍組織が生まれるや否や、王が権力を掌握し、そして大規模な戦争が始まりました。

このブログの「Consideration」のカテゴリでは、まだ提言の前提として「ヒトの本性」を明らかにしている段階なので、進化の話ばかり出てきますが、最終的な目的は「自由で機能する社会」へ至る道筋を提言することです。いまさら狩猟採取社会に戻る訳にはいきませんが、最新の情報通信技術を使いこなせば、すべてのヒトが「位置」と「役割」を持って一個の主体として参加できる自由で機能する社会に近づけるはずです。「伽藍からバザールへ」が、そのための最も重要なキーワードです。

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